M-ON!
Tsuyoshi Domoto Special
(堂本剛スペシャル)
2004.9.2
制作著作:MUSIC ON! TV
剛さん/森田恭子さん/《テロップ》と[補足]
[ORIGINAL COLOR Music Video]
《堂本剛…1979年生まれ。KinKi Kidsとしての活動の最中、2002年シングル「街」でソロアーティストとしてデビュー。2004年セカンド・アルバム「[síː]」を発表。同時にソロライブツアーを行い独自の世界を切り開いている。》
アルバムを聞かせていただいたんですけど、すごくきれいなアルバムですね。
ありがとうございます。
たぶん自分でも気にってらっしゃる?
はい、すごく気に入ってますね。
私の記憶では、初めてギターを持たれてから年月的にはあまり経っていないですよね?
初めて持ってから6年近辺ですかね。でも6年間音楽な毎日ではないので。基本的に一年のうちでほんと少ないと言うか。まぁでもギター好きやったりするので、ちょいちょい弾いてる感じですけど。ギター持ったりしてからそれくらい経ってる感じですね。
最初にギターを触ったときって、自分に合うなとか好きかもって思ったんですか?
最初は仕事で持たされたので。弾けたらいいなとは思ってましたけど。単純に、ギター弾いてる人とかカッコいい、みたいなイメージがあって。「カッコいい男」の条件として入ってる部類で、だから、嫌だったんですよね。そういう自分を想像したときに、ちょっと胸糞悪いと言うか、なんか嫌で。でも仕事でギターを持つことになり、最初は嫌々やってたんですけど。でも、人と接することとかが得意ではなくて…
一昨年くらいはがんばったんです、広く浅いお付き合いとか。がんばってみたんですけど、それをやっていると、自分が何したいのか、何を歌いたいのか、何を書きたいのか、全くわからなくなっちゃったので、やめたんです。で、ギターは特に人と喋らなくていいので、楽屋でも弾いたりとかしていれば時間がどんどん過ぎていっちゃうし。ギターは辛ければ辛いほど鳴ってくれるし、辛ければ辛いほど言葉はエッジが出てくるというか、攻撃的になっていゆくというか。そういった意味でも、“広く浅く”は、幸せ過ぎるので良くないなぁと思って。こんな歌を書きたいなぁとか、ギター弾けたらいいなぁとか思えば思うほど、あまり人と接したくなくなってくるというか。全くということではないですけど、そんなに多くを求めなくてもいいんじゃないかなぁ。それがたぶん自分らしくいられる生き方なので。音楽とかギターとかは、自分がふだん主張出来ない分、主張しちゃったりとかできるので、そういった意味では、すごく良いものを見つけさせてもらったなぁ、という感じです。
すごくそこで自分を開放できるというか、それこそ何でも話せる友達みたいな場所を作ってくれるものでもあるわけですね。
そうですね。本当は、「主張する」と言うよりは「僕はこんなんなんです」って特に隠すことなく日々生活していたいし、仕事していたいんですけど。へんにそういうギャップを作らなくていいのが音楽なので。やっぱりお芝居とかバラエティとかだと全然違う自分を多少なりとも作らなあかん感じもあるし。音楽やったら、自分が言葉書いて、コードをのせて、メロディ考えて、アレンジ考えて…みたいなことで、どんどん自分の中にあるものを、世間に、会話するというか、ひと言ひと言投げていくような感じがあるし、一番自分らしく在れる場所なんだろうなぁと思って。だから今、やっぱり、音楽はやっていたいし、すごく楽しい場所だなぁという感じなんです。
いろんな雑誌に出られたり、ファンの方がチェックしてるインタビューとか、いっぱいあると思うんですけど、でも、[síː]を聞いていると、もうそこに全てがあるじゃないですか。剛さんの普段考えていることだとか、かなり「大丈夫かなぁ」と思うくらい赤裸々な感じがして、こっちのほうがリアルに感じてしまうんではないかなぁと思ったり。
自分の中にあるものを出す・主張するってことが、攻撃的であったり、いろいろあんねんけど、でもそこらへんに転がっている感情よりはずっとピュアかなぁ、と。ミュージシャンの人と、今まですごい人たちとセッションさせてもらったり、ご飯食べに行ったり、ライブ見せてもらったり、楽曲提供していただいたりしている中で、それは本当にすごく感じていて。だから僕は、たぶんここにいればくたばらずに済むかな、っていうか。心が。ここで、音楽で、充電したり、放出したりして、バランスがとれればいいな、と。それでまた他の仕事もやりつつ、イメージというものと戦いつつ、というか。
音楽はとりあえず、「イメージ」よりも「自分であること」の意味をおしていきたいなぁというのがあって。今回のアルバムも、誰に気を遣うこともなく、自分のあたまの中で鳴っている音を再現していったというような。だから、やっぱり自分らしくいられる場所であるから、けっこう赤裸々な部分とかぽんぽんぽんぽん書いちゃうというか。別に読まれても恥ずかしくないというか、平気で「普通に聞いてください」みたいな。
自分の課題として、“幸せなラブソング”を書くというのがテーマとしてあって、頑張ったんですけど、やっぱり恋愛書いてても…なんか書けたのが2〜3曲で。もうちょっと書きたかったんですけどね。こういう曲を書くためにはこういう状況を自分に与えようとか、こうしよう、とかいうことをコントロールしながら生きていけたらなぁとか。音楽を、詩を書くためにああするこうするって、毎日がそうではないけれども、極力そうなっていて。そこで、書けたときにすごく幸せになれるから、それはボク的には全然OKで。
今回は、人の優しさを絶つ努力をして。みんながけっこう心配してくれたりして、言葉や感情をくれるねんけれども、そこに寄っかかっちゃうと終わっちゃうし、何も書けないし。強がるというか「大丈夫?」って聞かれたら「大丈夫」って言っちゃえばいい、みたいなことで。なんだかんだやっていくと色々書けたので、今後もたぶん、曲を書く時はそんな感じでやっていくのかな。優しさを、ちょっと、遠慮して。
そこに甘えちゃうと書けなくなっちゃうような気がするんですか?
というか、確実に書けないんです。あとは音楽以外でも、お芝居でもそうやと思うけど、やっぱり孤独な方が質が上がるというか、鈍らないというか。ギタリストとかもみんな言うけど、曲書くためには一人でいるか悪女と付き合うか、どっちかじゃない?みたいな。幸せになることが一番だと言う人はいないですね、話聞いてても。自分もそう思うし。幸せになってもいいねんけど、どこかで孤独を背負わせてくれるような相手というか。
ボクは基本的にラブソングを書く時は、歌いたい言葉っていうか、このフレーズを歌いたいっていうのを一個だけ見つけて、それを膨らませるだけですね。その状況、今の胸中を歌おうということではなくて、その胸中が一行だけ入ったくらいですね。例えば人を好きになって、あの人のこと好きやなぁ、声聞きたいなぁ、ああやな〜こうやな〜ってなってその人のために歌を作ることはないですね。
自分の中にある思いを言葉にして、それを、歌うために、前を付けたり後を付けたり、みたいな感じなんですね。
単純に声を聞きたいと思ってる毎日が、例えばあったとすれば、ラブソングじゃなくて、普通のメッセージソング的なものを歌ってる中で、世間に対して、「声が聞きたい」みたいな言葉に変わったりする。だから全く関係ないというか、そういうものになったりもするし。あとは単純に自分の好きな色がそうやから、とか、けっこうマニキュアとかもするんで、たまたまそのときに自分がしたマニキュアの色をのっけてみたりとか、そんな感じで書いてるんです。
具体的に、歌を作るときにどういう風に作っているかを聞いてもいいですか?メロディが先ですか?
メロディが先です。基本ギターで作ってて、メロディが先で、あとで詩をのせていくんですけど、煮詰まった時は鍵盤で、もうワンパターン幅を広げる意味で今ベースをやってるんですけど、ベースで作るのもいいな〜と思って。
例えば『ココロのブラインド』とかすごく好きな曲なんですけど、これはどういう風にしてできたんですか?
《track.06 ココロのブラインド》[♩ココロのブラインド]
あれは最初ギターで始まり、後半ピアノでしたけど、自分が結局恋愛に対して臆病だったりとか警戒心があったりするんで、女の人に対してとかも。だから自分の中にブラインドというかそういうものがあったとしたら、そのブラインドを簡単に開けてしまう女性とか、覗かれちゃう感じの女性が現れたらなぁみたいな感じっていうか。そこまですごく恋愛を求めてはいないねんけれども、単純に自分がちょっといい歌作ろうみたいな、微笑ましいLOVEを書こうと思ったときに、題材がなくて、「土曜の午後」っていう言葉を単純に歌いたかったのがまずきっかけで。
メジャーコードを弾いても自分的にあまりしっくりこなくて、メジャーセブンスとかマイナー系になっっちゃったりして。で、亀田誠治さんにアレンジしていただいて、村石さん(村石雅行さん)にドラム叩いてもらって、とやっていくうちに、よくある曲が、よくありそうでなさそう、みたいなジャンルの曲になりました。で、間奏をちょっとイタくしてほしいという注文を出したんです。ずっとポップなステキな世界で終わっちゃうので、間奏を一回グニャって曲がった感じにしてほしいって。恋愛ってずっといいものじゃないから。時には何かが襲ってくるから、その時の感じで間奏をどんどん歪ませて、またポップに戻っていく、みたいな。
今回のアルバムで、ご自分で思い入れのある曲は?
《track.13 PINK》[♩PINK]
『PINK』っていう楽曲ですね。自分がいろいろ考えたり、傷ついたり、なんだかんだして、眠れなくなっちゃったりして、気がつけば朝になっちゃってて。そんなときにカーテンを開けたら、空がピンク色に染まっている日がたまにあるんですよ。大体オレンジで始まるんですけど、ピンクで始まる日があって。でなんか、だんだんブルーになって、ブラックになって。その間にオレンジとか黄色とかも入ってくんねんけど、なんかそのピンクの空を見たときに、励まされたというか、滅多に遭遇できない色に出会えたことに、ちょっと喜びもあり。
滅多に遭遇しない空の色とか、今自分が見ている空の色も、現実であって、その空を見たときに悲しくなったり嬉しくなったりするのも自分次第で、でもそれも日によって違うから、とにかくあの歌は、目の前にある現実を負けないでちゃんと見て生きていきたいよね、っていう。今日ボクはカーテンを開けてみた。空がピンクだということはもう変わりないこと、変えられないこと、一生変えられないこと。それをちゃんと真正面から受け止めてどう考えるか・どう生きていくかは自分次第なんねんけど。ピンクに膨らんだ昨日があって、ブルーにひび割れた今日があって、それが混じって弾ける明日があって。色んな毎日が来るけれども、とにかく現実を毎日ちゃんと見て、負けないで逆らって闘って、という気持ちで曲を書いたんですけど。
あの『PINK』って楽曲はたぶん自分が投げたい感じのものであったり、ラブソングで言えば『恋のカマイタチ』が投げたい感じですね。『恋のカマイタチ』とか『ナイトドライブ』とか、あとは通常盤に入ってる『DEVIL』っていう楽曲とか。その4曲はけっこう自分の本当にやりたい音楽。だから、ちょっとポップになったとしても『ナイトドライブ』くらいなんですよね。
かっこいいですよね。
《track.07 ナイトドライブ》[♩ナイトドライブ]
ありがとうございます。あれはベーシストのウエケンさん(上田ケンジさん)にやっていただいて。こんな風に、って話し合ってやったんですけど。ウエケンさんもすごく純粋過ぎる人で。イタイくらい。失礼ですけど、年下のボクが、ウエケンさんの話聞いたりとか見てるだけで、涙が出そうになるくらい純粋な人で。失礼ながら、「守ってあげたい」じゃないけれども、「この人はこんなに傷んで毎日生きているのか」と思うと、心配になってくるし。久しぶりに、純粋な人に出逢ったなっていう。細い枝にけっこう重たいものを掛けられているような感じっていうか、今にも折れそうな。
だから、そんな人が作る音楽にとても興味が出てきて、ご自身のアルバムを聞かせてもらったりもしたんですけど、純粋な音がどんどん鳴ってたし、ウエケンさんとも良い出逢いをさせてもらったなぁと思いながら。『ナイトドライブ』は色々伝えてけっこうこだわった楽曲でもあったので。すごく優しい人やから、本当に繊細に優しく作業していかはる人で。なんか「雑にやってる」って言いながらも全然雑じゃなくて、優しくて。だからああいう楽曲になったんだろうなぁと思って、すごく感謝しているんです。
《track.14 DEVIL(通常盤のみ収録)》[♩DEVIL]
『DEVIL』って楽曲を今回アルバムに入れたんですけど、とにかくその、もうちょっと愛し合えないのかなぁというか、他人同士が。今の時代は「愛をしてる」って言い切れる人が少ないんじゃないか、どっちかと言えば「愛をしたい」って言う人のほうが多いんだろうなって。ということがあって、「愛をしてる」「愛をしたい」って言葉がずっと行ったり来たりする楽曲を作ったんですけど。自分に対しても書いてたりするんだけど、『PINK』とかもそうやし『DEVIL』とかもそうやねんけど、過去には、そうやって人を素直に愛せたのに、今のボクは、素直に愛せてないんですよね。すごく警戒心があって。何ていうのかな、素直じゃない、ほんとに、人に対して。人が入ってこようとすると、すぐこう、無しにしちゃうというか、怖いというか。人が素直に信じられないから。自分はたぶん昔は「愛をしてる」と言えてんけど、今はどちらかといえば「愛をしたい」っていう。
「したい」っていう気持ちはある?
ある。それは、恋愛ってことじゃなくて、人を警戒せずに誰とも素直に「ボクとあなた」で、会話をできるのがいいねんけど、やっぱり難しくて。そこばっかりは。自分もたぶん家族を持ったりとか色々すると変わってくるだろうし。今はとりあえず、「自分」が割合を占めているだけの話で、今後どうなっていくかはわからないですけど。人を信じさせてくれるような女性に出逢ったりするかもしれないし、友人に出逢うかもしれないし、仕事仲間に出逢うかもしれないし、それはわからないけれども、とりあえず今の自分が持っている現実を自分らしくまっすぐ見つめて、考えて、闘って、生きていきたいなっていう、それが今、というか、もうけっこうずっと理想であって。目を背けたり現実逃避したりするのは簡単やから。こうやって音楽をやってるとか詩を書いているとかいうのは、とにかく自分を素直に出せるし、自分で生きてる意味っていうのがよりあるというか。だから、すごく幸せだなぁと思って。上からああしなさいこうしなさいって言われるけれども、毎日それじゃないから、幸せだなぁとは思いますけどね。
この前ライブを見せていただいたときに、MCで、過去にすごく音楽によって自分が救われた経験があって、自分も今度はみんなを救ってあげたい、そういう音楽を作りたい、ってことをおっしゃってたのが印象的だったんですけど、でも、そこで歌ってらっしゃる剛さんを見てた時に、今は、自分で作った音楽で自分を救っている部分もあるのかな、っていう風にすごく思って。
それは確実にありますね。人のためだけに書ける日がいつくるかはわらないけれども、やっぱり所詮自分のために書いてるところって大いにあって。人にあまり言わない分、自分で自分を慰めてる部分もあるし。自分が苦しんで闘ってる姿を誰かが拾ってくれて、そこで「大丈夫?」っていう声を掛けてもらいたいのではなく、それを見た時に、「助けられたなぁ」とか「がんばらななぁ」とか、そういう感情がその人の中に芽生えればいいなぁと思って。だから特に「オレは今、すごく悲惨で、こうでああで…」ということではなくて、とにかく、自分が悩んだり苦しんだりしてる姿、葛藤して闘っている姿も、きっと誰かのためにはなるんだろうなぁ、という、それくらいのニュアンスで歌ったり、ステージではしてますけど。
《2004年8月16日 東京・ラフォーレ原宿屋上にてスペシャルビジョンライブが行われた》
[原宿ライブの映像]
ボクが音楽に助けられた時の、シンガーソングライターの方が、「お金払ってでもステージに立ちたくなかった。毎日逃げたかった。すごく悲しいけれども、人生終わりにしたいと思いながら毎日生きていた」っていうようなインタビュー記事を読んで。で、そのときのアルバムを、インタビューを読む前に聴いて、共鳴しちゃったんですよ。自分もそういうような胸中やったから。そこからどんどんその人の音楽にはまっていき、どんどん上げてもらって、助けてもらっていき、で、自分も、と思うようになって。
それはMr.Childrenですよね?
うん。なんでしょうね… わからへんねんけども、自分は「ボクはミュージシャンです」とか、とりあえず言えないですよね、あんまり。色んな仕事をしてるので。わからないけど。でも、音楽やる時は、ミュージシャンの人が「ミュージシャン・堂本剛」って言ってくれるように努力をするのみだし、自分が持ってるものを全部出すのみ。お芝居している時も、「役者・堂本剛」って役者の方に言ってもらえるように、全身で投げるだけやし。今、音楽がやれていることの幸せを、とりあえず今も感じながら。それをまたライブで歌えて、みんなが盛り上がってくれて、ってなると、とりあえず幸せだなぁ、と思いながら。
とにかく今自分が音楽をやっている意味とかどうこうっていうのは、さっき話した「自分である意味」っていうことが一番リアルに自分もわかるからっていうのもあるし、楽しいっていうのもあるし、周りにいる人たちが人間っぽいっていうのもあるし。そういう意味で、今いろいろ音楽をやってますが。アルバムも今回は、良い意味で「容赦なく」自分のやりたいものっていうのを。詩の世界観で、ちょっとラブソング的なものを書いておいたほうがいいかなっと思って書いたやつに関しては、音で思いきり遊んで。そんなふうにしてバランスをとって今回はアルバムを作ったんですけど。
《2枚目となるソロアルバム[síː]のレコーディングがスタートした。》
[レコーディング風景の映像]
今回は、厳しい意見をもらう意味もあって、「自分は今これをやりたい」「こんな感じ」っていうのを、とりあえずぶつけたんですね。ミュ−ジシャン、アレンジャーさんとか、セッションしたメンバー含めて、みんなに、「ボクは今こんなことを考えている。どうでしょうか?」って投げて、「それは音楽的に無しじゃないかな」って意見があったり、「無しだけど、有りにしてみようか」とかいう意見もあったり、それはもう様々だったんですが、そうやって会話できるのがすごく嬉しくて。簡単に「良くない」とかすぐ言っちゃう人とか、すごく悲しくて、一緒に仕事している意味ないなぁみたいな。そんな簡単に言われちゃったら。なんで良くないか教えてくださいって。そういうのとか、色々含めて、環境的に少なかったんですね。でも、音楽やり始めてから、音楽ではそういう時間とか場所とかがあって、自分がとりあえず見よう見まねでやってる部分とか、色々あると思うねんけれども、いろんなジャンルの人に聞いてもらって、いろんな意見を聞いて。どんどんどんどん。やっぱりまだもっともっと曲書きたいし、もっともっと歌いたいっていうのがあって、ギターもほんとにずっと好きで。先生が土屋公平さんで。
すごいですね。
公平さんが後ろでエレキをガツって鳴らしたときに、ブルージーなリフを弾いてらっしゃったんですけど、それを聞いたときに、初めて「なんじゃこれ!?」と思って、振り返ったら公平さんが立ってて、公平さんがギター弾いてて。「なんてカッコいいんだ!」と思って「すごく失礼なんですけど、ギター、すごくカッコいいと思いました」って言ったんですよ、そのときに。収録のあとの打ち上げで、「これ連絡先だから、もし何かあったら連絡しておいで」って言ってくださって。そしたら今バンドにご一緒することになって、楽屋で合間にセッションしたテープを録音して、それをまた家で聴いて。「僕は君を弟子にするから、盗みたいところはどんどん盗みなさい」って言ってくれて。ソウル・ファンクとか今すごい好きなので、ソウル・ファンクのMDをわざわざ編集してくれて「これを聴いとけば大丈夫」とか、建さん(吉田建さん)とかも「これを聞けば大丈夫」とか「ベースはこれ買っとけば大丈夫」「アンプはこれで、ギターはこれでいけば、たぶん出したい音出せるよ」みたいな。とにかく速いじゃないですか、答えが。聞けば数秒で返ってくるっていう環境があって。
ずっと自分はギブソン弾いてたんですけど、ディストーションバリバリのゴリゴリのぶっとい音が好きで、ずっと弾いてたんですけど、今はもう公平さんの影響で、ソウル・ファンクになっちゃったので、パッキパキのピッキピキの音が大好きになっちゃってて。でも、なんか、フレーズが50代だって言われるんです。若いのになんでそんなフレーズを弾いちゃうのって言われて。もっと若い感じに弾けばいいのにって言われんねんけど、なんか頭の中にあるのが50代らしくて。フレーズは。弾くと。
最近アンプとギターをテレキャスに替えたんですよ、自分の中にテレキャスはなかったんですが。たぶんずっと弾かないだろうなと思ってたんですけど。どっちかって言ったらギルドとかグレッチとか、あっちの方向に行きたかったんですけど、そうじゃなくなっていて、今。今またギターを練習しているんですけど、すごくやっぱり恵まれていて、いつも本当に神様がなんか仕組んでくれてるのかわからないんですけど、楽器もありえへんくらい良い楽器でずっとやってきてるんです。アンプとかも。で、この間買った、ライブでも弾いてたテレキャスを、公平さんが見て「これはどこで買ったの?」みたいな。
羨ましかった(笑)
「そうなんだ〜」って。色々まぁそういう話したりするんですが。とにかくすごく今興味があって、弾いてるのも楽しいし、聴いてるのも楽しいし。一昨年とかけっこう時間があったんで、他の方のライブとかよく行ってたんですけど、今年ちょっと時間なくて行けてないんですけど、他の人のライブを見て、またなんか吸収したいなとか。ギターもそうやねんけど、やっぱボーカルも鍛えてやってかんとなぁ〜と。今回、アルバムもライブも本当に良い人たちと出逢えて、今年はたぶんすごく良い人たちと出逢える年になるんだろうなと思って、後半もワクワクしてるんですけどね。
今回、ずいぶん壁を壊せたんで。いろんな。自分的にとかじゃなくて、なんていうのかな…イメージとか、事務所とか、アイドルとか、色んなことを崩すことができたので、次に音楽をもしやらせてもらうときには、環境的にはすごく音楽的環境が広がってると思うんですよね。アイドル的環境ではなく。
今回のアルバムで、すごく音楽ファンが付くんじゃないかなと思うんですよ。今まではそれこそテレビでしか知らない人たちも、ふだん音楽をすごく好きな人たちが引っかかるんじゃないかなって、すごく思いますけど。
音楽をこよなく愛してる人たちが引っかかってくれる音楽をもし作れたのならば、それはすごく嬉しいことやし。お芝居でもそうで、お芝居中毒の人たちがボクの芝居を見て「よかったですよ」って、「あの役良かったですね」って言ってくれたらすごく嬉しいし。そういうふうなアルバムになっていたり、自分になっていたりするのであれば、すごく嬉しいことで、音楽やってきてよかったなぁって思うひと言であったりするし。かと言って、ここでその言葉に左右されて何かが変わることもなくて、やっぱり単純に厳しい意見も絶対あるから、それはそれでやっぱりちゃんと聞いて、勉強して、そういう考えもあるなぁとか思いながらどんどん自分の中にある「音楽大好き」っていう感情をどんどん膨らまして膨らまして形にしていって、沢山の人に投げられたらなぁっていう、ただそれだけですね。なんか、「今オレがやってる音楽すごいやろ」とか「どうや」みたいなことよりかは、本当に好きだからやっていて、やれる環境をいただいているから今できていて、これを披露できる場所があって、見ていただけるとこ、聞いていただける場所があるから、ツアーというものがあって。とにかくもう幸せやなぁと思って。
いつもライブが終わったあととか、みんな待っててくれるんですね。「お疲れさまでした」ってみんなで言いながら、みんなでご飯食べに行って、ワイワイ騒いで、次の日またがんばってみんなでステージやって。自分の作った楽曲に対してグワーって集中してくれてる優しさとかがすごく心地よくて。これをやっぱり一回感じちゃうと、クセになっちゃって、もう一回、ってやっぱり思ってしまうのは当然ながらなんですが。
だから、あの時優しさを拒否しといてよかったなぁと思う瞬間になるんです。ここで優しさを一気にブァーってもらえた時に。そこで充電できるから、また、無しにして、とりあえずストイックに書いて、披露して、また充電してもらって、っていう。なんかそんな感じなんだろうなぁと思って。今はだからとりあえずちょっと充電期間。優しさを充電しつつ、放出していく感じで。またこのツアーとかプロジェクトが終われば、もっとストイックにまたなっていくと思うんですけど。
色んなものがきっと栄養になって。そういうことすらも、失敗とかも。
そうですね。毎日完璧にいくのはものすごい難しいこと。でも、望むことは悪いことではないから、とりあえず、完璧を望みながら、どこまで自分の「完璧」だと言えるところまで行けるかとか。あとは、自分が良いと思っているほど周りが良いと思ってないことも多いし、自分がなんかなぁと思ってても周りがすごく感動してくれてる時もあるから、そのへんはわからないけど、自分の中にある「ここまで行かないと」っていうところまでは、とりあえずなるべく早く行きたいっていうか。うん。
これからも、このソロ活動は続けていく?
こればっかりは…ファンの人次第かなぁという。
あ、そうなんですか?!
あとは事務所次第じゃないですかね。
ファンの人がまた聴きたいっていう…
って思ってくれれば、ぜんぜんやるし。でもそう思ってもらったとしても、事務所がじゃぁうーんってなってれば、これまた話は複雑になってくるので。そればっかりはわからないですけど。やってもいいと言ってくだされば、また絶対やりたいな、というのはすごくありますけどね。今回アルバムを出して、聴いてもらって、求めてくれる人がもしいるのであれば、その人たちの前にまた現れる意味は出てくるし。そういうときは是非やりたいなぁと思ってますけど。
[ORIGINAL COLOR Music Video]
《堂本剛 特製フローティング・キャンドルのプレゼントのお知らせ》
《interviewer 森田恭子》