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東大寺LIVE 2018
2018年9月15日(1公演)

​◆会場

奈良 東大寺 大仏殿前

◆DVD/ Blu-ray

堂本剛 東大寺LIVE2018

◆東大寺を含む「古都奈良の文化財」の世界遺産登録20周年を記念した、奈良市特別観光大使の堂本剛さんによる奉納演奏会

​「お客さんにプレゼンするものではなくて、仏様とのお話をお客さんが目撃するという形式のライブです。」「僕は、大仏様のお身拭いに参加させてもらったこともあって、大仏様とは密な時間を過ごさせてもらっているので、一奈良人として、普段から仏様のお世話やお勤めをしていらっしゃる方と一緒にセッション=奉納できればうれしいんですが。」日経おとなのOFF インタビューより

「大仏さんに奉納演奏をして、来ていただく方たちにはそれを目撃していただくというイメージで開催したんです」「過去と現在と未来、そしてご先祖さんへの感謝と平和の願いというものをただただ込めて演奏しようと」音楽と人2019年5月号より

チケット_e.jpg

◆メンバー

 

十川ともじ

Gakushi

竹内朋康

佐藤タイジ

酒井太

Duttch

スティーヴエトウ

SASUKE

小澤篤士

かわ島崇文

平岡恵子

Olivia Burrell

◆セットリスト

 

…ラカチノトヒ

HYBRID FUNK

宗流Power

B FUNK

Believe in intuition…

去な宇宙

セッション

◆2018.10.06 堂本剛とFashion & Music Book(カッコ内は管理人による補足)

(リスナーの「陰から陽へのストリー性が素晴らしかった」というライブの感想を読んで)たしかに世界観も陰から陽に向かっていくようなストーリー性だったと思います。自分自身が意識したわけではないんですけど、人のちからの怖さと素晴らしさ、みたいなものをあたまに歌って、そこからご先祖さんのことだったりを歌って、そして奈良には昔このような風が吹いていたんだろうというような奈良の時空間に、昔の奈良に、タイムスリップするようなイメージをやってみたりとか。そんな中から、だんだんと現代にまた入ってきて、というような感じで。最終的には「奉納演奏でアーティストたちが大仏さんの前にいる」という状況から、「ただの奈良の一人の人間、奈良人の堂本剛っていう人がいる」というような関係性を、最終的には作ったという感じなんですが。最初はやはり「奉納演奏」というのもあり、アーティストとしてそのお役目を果たす立場という意識の強い面持ちで立っていたんですけど、最後は本当にただひとりの人として立つ、という。その人の弱さと強さみたいなものが、最終的にそこに存在するっていうストーリーを作ったんですけど。

ステージで、というか人様の前で涙を流すということは、まぁないことなんで…ただやっぱり、自分自身がこの一年間、本当に、年の最後(年末恒例ののKinKi Kidsのドームコンサート。20年連続で開催してきたが2018年はやらないことが発表された*下記補足参照に向けて、いろんな調整というか、体の調整をしてきて、少し良くなったと思ったらまた後退したりっていうのをずっと繰り返してるんですよ。でも周りが求める僕っていうのが、僕の設定してるラインよりもはるか上なんですよ。「こういう病気(突発性難聴)になる前の僕」なんですよ、

 

すごく簡単に言うと。色々やってはみるけど、全然みんなの求めてる自分にはなれない。で、その悔しさとか悲しさとかいろんなものがこみ上げてきて、大仏さんの前で恥ずかしくも泣いてしまうっていう状況が起きたんですけど。

 

今までそういう悔し涙とか悔しい気持ちとか、いろんな気持ちが毎日のようにあって。周りの人は悪気があって言ってはいないけれど、傷ついた言葉もいっぱいあって。「僕だってそうできたらそうしたいのに」と思うこともいっぱいあった中の、積み重ねの。

で、やっぱり大仏さん、奈良、ってなってくると本当に自分の感情っていうのが素直に出てきてしまうようで。こういう場なんでぐっとこらえてホテルに帰って一人で泣けばよかったんですけど、なんかその、全然止められなくて。これはやっぱり「奈良の力」というのも変ですけど、奈良やったり大仏さんやったり東大寺さんやったりという環境の中だからこそ、ファンに見せられた、見せてしまった姿だったのかなというふうに思うんですけど。

 

あの『街』を歌ってなければすんなり終わってたんですけどね。前日まで悩んでたんで。ステージで涙を流すということが良いことなのかって言ったら、良くないことのような気はするんですけど、悪いことではないと思う。でもどうなのかな、っていうのはちょっとありますね。

 

こういう涙とかこういう悔しい気持ち・思いっていうものを、本当は、僕の本音は、ファンの人たちに常々理解してほしいけれど。家族には言うでしょ?いろんな話、気持ち。それと同じで、理解してもらいたいけど、でも周りはそれはあまり良いと思わないからね。なんかこう、話し過ぎちゃうとか。もう過ぎたことですから、後悔とかないですけど。

ああいう感情に自分がなれたのも大仏さんのおかげですし、何よりも、本当に協力してくださった、僕の色々な思いとか沢山色々とお話させてきていただいたことを、あの日に繋いでくださった、東大寺さん、管長さんはじめ、すべての人々に本当に感謝しています。今後また奈良で、奈良の空の下で歌える日がきたらいいなぁなんてふうに思ったりします。

現実問題、前の自分に戻ってほしいという期待に応えるのは、もしかしたらこの人生では叶わないかもしれないって思ってるくらい、ちょっとむずかしいよね。諦めることはしないけど、そんなに早くないから、待ってもらえるのやったらいいけど。それも本当にわからへんねんな。待ったはいいけど「治らんかったや、お前」って言われることもあるかもしれへんから。そのへんがわかんないんですよ、自分では。

 

だから「今の自分」ができる最大限っていうのがあるから、僕はそれを自分にやらせてるところですね。「その最大限をとりあえずやれよ、お前」っていう。そんな中で出逢うものもあるし、お別れしなきゃいけないものもあるけど。それはもう仕方ないなって。自分がこうなってしまったからっていうところで。

*補足 2018.10.16「小喜利の私」にて

年末年始のKinKi Kidsコンサートに向けて、今年一年ソロ活動をやりながら合わせてきた。アンプラグドかアコースティックなら、皆の心配をゼロにできる状態まで持ってきていた。ドームでは骨伝導でビービーと鳴るが、アンプラグドかアコースティックならちゃんと歌える。それが今の僕のMAX。現在の状況は「後遺症」であって、今後完治することは無いから、「今この体で何ができるか」が大切で、精一杯切れる唯一のカードだった。それがだめならトークショーでもと提案した。関係各位に伝えて結果は委ねたが、歩み寄りはなく、今年は無しという結論を聞いた。(参加したファンの方々のレポートからの要約です。元レポは小喜利ページのリンクから御覧ください。ファンの方が記憶やメモを元にして書かれたもので、剛さんの言葉そのままとは限りません)

◆2018.09.22 堂本剛とFashion & Music Book

東大寺の管長さんも「君の庭やと思ってやればいいよ」って言うてくださって。「やりたいようにやりや」って言うてくれはったんですよね。「君はちょっとどこか真面目なところがあるから、色々気にするような気もするから、ま、そんなんも、とにかく気にせんと好きなようにやりや」っていうふうにおっしゃったんです。

 

で、僕自身いろいろ考えたんですよね。平安神宮さんでの奉納演奏もありますけど、東大寺さんの奉納演奏をどういうスタイル・どういうテーマにしようかなと思って。平安神宮さんでは、自分を愛することの大切さとそして難しさというものをテーマにし、そしてその果てに人を愛するということが本当にもっと難しいことである、そういうテーマにしたんです。で、東大寺さんは、大仏さんが昔の奈良を見ているような、そういう音楽をプレゼントしようかな、と思ったんですよね。

 

バラード歌ってみようか、それこそ『街』を歌ったり『縁を結いて』とか『空が泣くから』とか歌おうかとも思ったんですけれども、リハで音を詰めていくにつれて、バラードはちょっと今回は合わないなっていう判断をして。昔の奈良っていうのは、たくさんのくにの人々がそこで集まって、そこのくにの人たちがまたくにを動かしてたり、日本の人間・大和の人間だけではない状況だったり、物事がずっと動いているから、だから、すごく賑やかやったり、サイケデリックやったり、国際色豊かやったりっていう、入り組んだ感じも含めて、癒やしにならないかなぁ〜と。

 

すごく洗練されたきれいなものを作ろうとか考えたりはしましたけど、そういうことじゃなくて。大仏さんに見守られながら、皆でこういうふうな演奏をすればいいかなとか頭で考えてやろうと最初思ったけれど、やっぱり、大仏さんが、すごい長い時間、奈良を見てきてはるわけですから、そこに僕らは遡ったりしながら、ちょっとペルシャの匂いもあったり、シルクロードの感覚があったり、仏教っていうものであったり、人は生きて死んでいくっていうことであったり、そういう様々なことをちょっとこう「音」に変えて。だからすごく「歌」はめっちゃ少ないんですけど。東大寺さんでライブさせていただくってなったときに僕が選択したのは、あんまり「歌」じゃなかったですね。「音」をプレゼントしたいなぁっていうか。「歌」をプレゼントしてもいいなとも思ったけど、なんかそういうことじゃない、みたいな。昔の奈良というものを大仏さんにプレゼントしたいなって思って、そう思ったときに、なんかしっくりきて。「音」なんで、見に来てくださった方に伝わってるかわからないですけど、大仏さんには伝わってるだろうな、というふうなことで。そういう選択をとったというかたちなんです。

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