縁を結いて(えにをゆいて)
作詩:堂本剛(歌詩)
作曲:堂本剛
堂本剛: arrangement, programming
十川ともじ:co-arrangement, programming, acoustic piano
屋敷豪太:drums
吉田建:bass
スティーヴエトウ:percussion
●デジタル配信中
●シングル「縁を結いて」堂本剛 2011.04.06
●アルバム「NIPPON」Tsuyoshi Domoto 2011.10.21
●Music Clip: シングル「縁を結いて」初回盤A
♩別バージョン『縁を結いて - live arrange ver.』
アルバム「shamanippon -ラカチノトヒ-」堂本剛 2012.04.11
●DVD/Blu-ray「平安神宮公演2011 平安結祈 heianyuki」Disc1
●DVD/Blu-ray「shamanippon -ラカチノトヒ-」初/通-Disc1
●DVD/Blu-ray「平安神宮ライブ2012 ヒトツ」
「縁を結いて」(旧公式HPより抜粋)
堂本剛が二年程前に家族で訪れた、ふるさと奈良にある縁結びの神様・音の神様として知られる神社の境内で生まれた、不思議な詩とメロディ…。
神殿の奥に御座す神様を見つめた母の眼からは、一筋の涙が流れていた。そういった理屈ではないものを、彼はずっと描きたいと思っていた。様々なテクノロジーを用いて、わたしたちは今日まで、自然界や人間界の答えを割り出してきているけれど。
遥か古代にも、そして現代にも、理屈では説明の付かない「美」が無数にあるということを、魂は知っている。“理屈ではないものを描くこと”に向き合うことが、どうしても彼には必然だったのだろう。
美しき日本。自分を信じることの美しさを、そして、日本人の「心」を「美」を想い出すことを、いま…真っ直ぐに捧げます。
▶ 「縁を結いて」は、剛さんが、芸能の神として知られる市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を主祭神とする奈良県吉野郡天川村の天河大弁財天社を訪れた際に、生まれた曲。音源収録とMV撮影も同所。MVは、巫女装束を纏う剛さんと、奈良の自然・神社仏閣の風景。滑らかな歌声と日本の情景が溶け合う、美しい作品。
2012年3月20日から2017年3月19日まで、近鉄特急の発車メロディとして使用。当初1年間だけの予定が、好評のため3度も延長され、5年間となりました。
▶ REVIEW - CDジャーナル
故郷・奈良にある縁結びの神として知られる天河神社で録音された曲で、いにしえから連なる理屈では説明できない日本人が持つ縁や美について語る。よどみない鍵盤を軸とした清らかなサウンドに心を洗われるようだ。
▶ 堂本剛とFashion & Music Book 2011.04.02 (つよしんぐわーるど)
奈良の南部に天河神社という神社がありまして、ここは縁結びの神様でもあるんですが、音の神様ですね。で、音の神様ということは弁財天さんなんですけれども、弁財天さんっていうことは龍の神様でもあって、龍神ということは蛇にもつながっていきますし、水の神様ですね。そういう場所なんです。そこに僕はご縁があったんで、何度か足を運んでたんですよ、個人的に。
この『縁を結いて』という曲ができるときがものすごく不思議で…
家族でお参りに行ったったんです。家族に親孝行も含めて、近くの温泉に泊まったりとかしながら、弁財天さんにみんなで行こうかって。家族の縁がこれからも強くあるようにっていうような感覚で行ったんですよ。
そしたら、ご祈祷していただきまして。で、ご家族で神様の弁天さんのお顔をどうぞ近くで見て下さいって宮司さんが言って下さって、神殿を開けて頂いて、家族で正座しながら弁天さんを見上げるようなかたちでずっと見ていたんです。母がものすごく静かだったので、ふと横を見ると、一筋の涙をすーっと流してたんですよ。「どしたん?」って聞いたら「きれいやなぁ 」って。その一言だけ言って、ずっと泣いているんですよ。
あぁ、こういった理屈じゃないもの、この涙のような理屈じゃないものを僕はクリエーションしたいってずっと思いながら生きているのに、こういうものってどうやったら作れるんだろうって思って。理屈じゃないものを目の前にした時に、人間って何も出来ないっていうことがあるじゃないですか。化学方程式や哲学や様々なものがあって、計算式、データっていうものがあるけれども、じゃぁこの「涙」って、今流している涙をデータで出せるのかって言ったら出せないでしょう?そういうものを目の前にした時に、ものすごく無力さを感じて。 [中略]
母の涙を見た時に、居ても立ってもいられなくなって。(今、ナチュラルなピュアな気持ちが日本に必要なんじゃないかという)想いと、理屈ではない「涙」とかが、一気にグルーヴし始めて。[中略]
宮司さんが「ゆっくりしてってください」と言ってくださったんで、神社にある能の舞台でパソコン開いて、降ってきた言葉を書いたら、この歌詩だったんです。その場でほご完成しちゃったんです。メロディもほぼ完成してたんですよ。頭のなかにメロディがあって。
東京に戻って東京で歌詩をちょっといじりながら修正したりとかの作業をしようとするんですけど、なんか、理屈で歌にしようとか歌詩にしようとかすると辻褄が合わなくなるんです。宮司さんが「天川という場所は、数字で言うとゼロという場所なんです」と。で、僕はずっとゼロのクリエイトをしたいと思って生きてたので、腑に落ちたんです。数字で言うとゼロ。プラス1でもないマイナス1でもないというところなんだというお話があって。だから、理屈で、あるいは欲で、こういう曲にしたい、こういう風にみんなに聴いてもらいたい、こういう風に思ってもらいたい、ということを付け加えて修正しようとすると、バランスが悪くなってなんか完成しないんですよ。これを、「捧げたい」と思った時に歌詩がビチって決まって、なんかOKになっちゃったんですよね。